久しぶりに、「現実だと思ってたら夢だった」を体験しました。目が覚めてしばらく、現実世界が仮想空間に思えて呆然としてしまった(^^;
夢は自宅のリビングから外を見ているだけ。カーテンの隙間から逆さに弧を描いている綺麗な虹が見えたので、びっくりして窓を全開にしたら円形の虹でした。キッチンにいる旦那に見て見てすごい!とFC全開で喜んでると目が覚めました。スマホで画像とっとけばよかった(ノ_・、)と寝ぼけた頭でガッカリしたのでした。
虹が吉兆なのか、は諸説あります。キリスト教では虹は神さまとの契約のしるしだから吉兆です。旧約聖書では、ノアの箱舟のところに出てきます。
令和元年の「即位礼正殿の儀」の日、前日からの豪雨が降りやまず、古式ゆかしい装束に身を包んだ職員さんたちも中庭に出られず、風も強くて皇后陛下側の旗が何本も倒れる始末でえらいことになりました。
ところが、午後の高御座が開く直前ににわかに雨が上がって大きな虹が低い位置で皇居を包み込むようにかかったのです。これも見えない世界の何らかのメッセージだったのか?当時、読み聞かせで古事記の絵本を読んだ後にこの話をすると小学生たちが「おおおー♪」と喜んでましたが。
白いのは凶兆だとか、ぼやけてると良くないとか、ネットをググると色々書いてありますが(^^; 古代の人々が巨大な気象現象に恐れを抱いたことに深く共感します。
ところで、タタリガミを畏れるような信仰のあり方と、創造主なる神への畏怖の信仰に共通点があるでしょうか。全然違う様で、根本でリンクするのが「天津罪」だとわたしは思ってます。
聖書の創世記でアダムとエヴァは「原罪」を犯しますが、これは神さまから隠れる姿が象徴していて、神様に背を向けることが最も深い罪だと教えていただきました。
神道の「天津罪」もまた、法のルールを越えた世界で犯す罪のことですね。これは与えられた能力や力をディスカウントして自己本位に欲望に任せる姿(スサノオ大暴れ)。わたしたちに置き換えれば、自分が得する仕事しかしないとか、本来の力を出し切らない怠惰な姿がそれにあたるのかな。
美しいと感じ心を打つような自然現象は、見えない世界からの贈り物の可能性ありますよね^^心が洗われて芯から浄化されるような気持ちになってるとき、利己的な考えとか普通できないような気がします。天国をテイスティスプーンで味わうみたいな感じです。
夢は吉兆だったことにします!ありがたすぎる^^
尊己及人💖
世界中のすべての人が、平和で豊かで幸せになりますように。