本日京都市南のMSは、京都洛南倫理法人会 清水友浩副事務長のご講話でした。
清水さんは、むち打ちボキボキ専門(chiropractic)の柔道整復師として京都伏見にて「大亀谷しみず接骨院」を経営されています。臨床経験は20年!
夫婦愛和についても語られましたが、講話のレジュメの画像に写り込んだ女性が奥さんかと思ったらコシノジュンコさんでした(^^; 失礼いたしました。ご本人はむっちゃ綺麗で可愛い方で、しかも4児のママだと伺いました。
清水さんを見て感じるのは、いわゆるセレンディピティが磨かれた方だなあと。心のあり様が引き寄せるのか、前世で積んだ徳が溢れるのかは分かりませんが、常人にはない輝きがあります。
嬉しかったのは、清水さんも一人活力朝礼をされていた時期があったと聞いたこと。そして、それは一人ではなく空や太陽も朝礼に参加しているという感覚に激しく同意した次第です。ベランダ朝礼も捨てたもんじゃなかった(*´∀`*)
心に響いたのは医療へのジレンマの部分でした。症状に対して薬を使うのは、身体への不信であり、安易な医療介入は自己治癒の可能性を狭める…というところ。
本来は、しっかりと病気を経験するたびに、その病気への耐性が強まる。ますます健康度が上がり、より元気になっていく。だから「病気になればおめでとう」なんですね。
いくら薬を貰っても一か月200円というこども医療制度が、安易に薬に頼る習慣を生み出し、それが子どもたちが本来持っている力を損なうことにつながるのなら、なんのための社会資源?
午前は院生とMTGだったのですが、清水さんの講話が残っていて、十代の妊娠についての考察がかなり深まりました。生殖期の健康な雌雄が性行為をするのは、動物とか昆虫とかなら種族維持のための結婚なのに、人間は、成人としての自立と生殖適齢期が合致していない。
かくして中絶は合法となり、abortion is healthcare というプラカードが女性の権利団体によって掲げられます。
人間というのは、なんとも不自然な動物なんだなあと考察した次第です。
両親が仕事の責任を果たすために、小さな子が強い薬を投与されて病児保育に預けられる世の中って、自然じゃないですよね?
様々な薬剤と医療措置が必須の麻酔分娩をスタンダードにしたい勢力は、人の歴史の中で記録が残るわずかな過去、何千年の出産の在り方を否定してしまいます。
でも、わたしたちホモサピエンスは、何十万年も前から自然な出産によってその命をつないできたのです。ここ数十年の考えの方が正しいなんて。それなんてバベルの塔?
思いあがったあげくの超少子高齢化社会は、滅びを待つ世界。それでも、わたしは今日生まれた赤ちゃんが生きる100年に希望をつなぎたいです。
苦難福門!
生活の不自然さ、心のゆがみ。これを克服することで、希望が生み出されるはずです。
まずは自分から、やってやってやり抜く(≧∀≦)ノというやる気が出ました。清水さんのご講話に感謝です。