今朝は京都洛南倫理法人会のMSを訪ねました。講話は、南にとっても大切な創生期メンバーである冨岡相談役。
その波乱万丈の人生は、何度聞いてもワクワクドキドキなストーリーで聞きごたえがあります。
会場は、京都駅隣接のグランヴィア京都3階。
ここは、忘れもしない平成27年、(公社)日本助産師会通常総会が開催されたフロアです。
懐かしくて少し涙ぐんだりしてしまった。あの頃の役員チーム、すごく充実してて楽しくて、相互信頼や共感で結ばれてた気がします。
あのときも私は裏方スタッフで、席にもつかずに走り回ってた場所。珠玉の有難いお話も全然聞けなかったなあ。。
人見知りのわたしが、他単会のMSに出かけるのは結構なハードルなのですが、今はその単会の専任幹事に直接ご連絡できるので手続きが楽になりました。
何より、南のMSではいつもの裏方スタッフの立場であって、本来は椅子にも座らず運営が滞りなく流れていることをチェックし続ける役割です。(座ってるけど)
なので、他単会でお客様になって最初から最後までMS満喫しながら座っていられるのが本当に快感で(^^;
毎朝4時起きが普通になったら、毎日どこかの単会MSに行けるんだな^^それよりも何よりも、個人の生活を律することが出来るようになる気がします。
仕事も人付き合いも、何だか追われているみたいに空き時間を調整するのにちょっと疲れてきました。みんなやってることだけれども。
わたしはどうやらADD脳らしくて、小さい頃から双方向の評価を受けるタイプでした。ある人からは天才肌で頭の回転が速くて将来が楽しみだと言われ、ある人からは愚図でどんくさくて使い物にならないと言われました。発達障害あるあるです。
傷ついた悪口の方がずっと深く残るから、わたしのセルフイメージはどん底の自他否定が中核になってゆきました。ネガティブ体験があるたびに、ほらやっぱりそうだよねって自分と世界をより憎悪するのです。
わたしの敵は、わたし自身でした。このままダークサイドを転がり落ちていくのかと思っていましたが(^^; 仕事(看護や助産)に随分救われました。
大人になっても、やっぱりADDは変わらずですが、仕事を通して多くの学びの機会があり、執着が無くなっていく過程で自分への嫌悪も薄れていったように思います。人にどう思われているかも、あまり気にならなくなりました。
嫌われる勇気、という本が大ヒットしましたが、アドラー先生を引き合いに出すまでもなく、ありのまま自由自在に心を動かし、これが良いと言える自分に成長してゆくことが人生の大目標なのだと思います。
同じGOAL、同じ思いを持つ希少な友人をとても大切に思えるようになりましたし、それゆえに率直な意見を伝えることも怖くなくなりました。
誰もが内に聖なるものと邪なものを併せ持っていて、そのバランスがその人らしさであり、良いも悪いもないのだと今は思っています。むしろ、それで良いのです。
不満は、正当に評価されない、承認されないときに、自分の奥からゆらりと立ち上がる暗い情念。不満を持つ同士でブーブー言ってるのはちょっと楽しかったりするけど。
黙々と下座の行に勤めるのも悪くないなと、今日グランヴィアで再確認しました。
あの日、講演が始まっているのに表の受付台で、様々な作業をしていた仲間の横顔が鮮明に思い出せて、本当に美しかったと改めて思った次第です。貧乏くじではなく、あの大会の成功のための尊い柱だったと。
勤労歓喜!
今、京都市南の裏方の立場として、たくさんの失敗を許していただきながら成長の機会を頂いていることに感謝。不満に流れず、すべて喜びに捉えてゆきます!