「親業」の原書は英文で書かれていて、日本最初のトレーナー近藤千絵が日本語に翻訳しました。
するっと読み飛ばしてしまっていたのですが、本のなかに「清水の舞台から飛び降りる気持ちで」という表現があります。原書になんて書いてあるのか、興味津々です。
その覚悟で何をするのか、というと「親が子どもの話を聴く」という文脈なのです。
子育ては決してウキウキ楽しいことばかりではなく、むしろ苛々したりがっかりしたり、体力をとことん奪われたり、かつてないストレスを全身で受け止める場面が多いのです。
それでも、我が子を育てるため、ご飯を作ったり生活動作を教えたり、親は懸命に責任を果たします。
目標は精神的、経済的な自立。依存から自己管理へと成長することを願います。
そのときの親の対応で、最も効果があるのが受容であることを昨日書きましたが、受容を伝える行動が「聴く」という姿勢です。
この、相手の話を聴くときの心持が、「清水の舞台から飛び降りる」覚悟に例えられているのです。
さて、なぜ人々は清水の舞台から12m下の地上に飛び降りたのでしょうか?
これは実は願掛けであり、ポジティブな気持ちで幸運を願って行う行為だったそうです。
死ぬこと以外かすり傷と思えば、今自分が陥っている問題が、TVドラマのように客観的に捉えられるような気がしませんか?
だから、子どもを理解しようと考えるとき、自分が変わらなければならないというリスクを超えて、相手の話を心から聴くのです。
子どもは強い口調で暴言を吐くかもしれない。耳を塞ぎたいような未熟で愚かな考えを平然と語るかも知れない。
それでも聴いて聴いて確認しつづけるために、清水の舞台から飛び降りる必要がある…
自分以外の人を理解することの困難さ、共感することの難しさ。それでもポジティブに成長を望む気持ちを、上手く表現してくださっていますね!
運命自招。
思いは特攻隊のように、のちの世代の幸せのため礎となりたいのですが、まだまだつまらないことで心が揺れる未熟者です(^^;