小学生のときに、担任だった風通しのいい髪型の先生がタイトルの質問を子どもたちに投げました。仲良しのYちゃんは即座に頭を指し、わたしは胸の中央を押さえました。
Yちゃんと数十年ぶりに再会したのはとある病院。彼女は産科医になっていて、わたしは看護学生の実習指導教員としてでした(^^; ビックリしました。
一緒に少女漫画のイラストを描き合っていた、芯の強い優しい女の子。Yちゃんにはお姉ちゃんがいたので自宅に漫画がいっぱいあって、遊びにいっては読ませてもらってました。
山岸凉子の超怖いお話が忘れられない…ぎゃーぎゃー叫んで家の人に叱られたのも良い思い出。
さて、医療職になった私たちは人体の解剖生理を学びました。記憶や感情が脳のどの部分の機能であるかも。
どうやら、脳科学的には、心=脳という、幼き日のYちゃんは正しかったようです。
でも臨床では治療効果がダイレクトに闘病意欲と関連していて、それが家族愛に紐づくとなればやはり脳とは別の心の機能が備わっているように思えます。
こっちは心理学の切り口ですが、プラセボで病気が治ったりするのも本当に不思議な心の働きではないでしょうか。
もしかするとYちゃんも、人体のプロになった今だからこそ、心は脳にあるって即答できなくなってるかも?
人は亡くなってもつながりを残します。お盆も慰霊祭もお墓参りも、亡くなった方を思い、その心と対話をしています。
この心は魂と同じ意味です。消えることのない魂(永遠のいのち)を人間は持っているとアンデルセンの人魚姫にありました。
ラスト、魂を持たない人魚は、王子に失恋して海の泡になるところを救われ、風の精霊になります。
300年修行をすれば魂を得ることが出来るのですが、小さな子どもが母親に愛されているのを見てほほ笑むと、ゴールが一日早くなります。
逆に、子どもが悪い行動をしているのを見て悲しみの涙をこぼすと、ゴールが一日延びるのです。
なるほど、童話は心の有り様を端的に説明してくれています。
信成万事!
憂いは毒ガス、魂が滅んでゆく(^^;
コロナだ猛暑だミサイルだと心配ばっかりして魂を弱らせていますが、その分喜びを何倍にも感じ取れる心でありたいです。
世の中、絶対に良くなるって信じてます!