子ども時代から集団が苦手です。ひとりとなら理解しあえる気がしても、相手が「わたしたち」と言い出した途端にげんなりします。それは制服や鎧と向き合うようで、本当のその人は隠されると感じてしまうから。
それでも、社会生活の上で集団に所属するのは避けられないわけで、企業の社員であったときも、法人の理事であったときも、一歩家を出たら看板を背負っていると思えと言われ(^^; なんだか常に監視と制約が纏わりつくみたいです。
思えば、学校PTAから町内会まで、様々な役割を与えられてきました。やる気満々で楽しんでやってる人、押し付けられたとブツブツ不満を言いながら任期を耐える人、その時期の人生のステージにもよるのでしょうけど、負担に感じる度合いは人それぞれです。
わたしは頼まれたら断らないので、なんやかんやと役を頂く機会があります。どうせ逃げられない任期なら、ネガティブよりはポジティブに受け取ろうと決めました。その方が仕事への構えも建設的で、自分にとっても楽になると感じるからですが…
組織活動というのは、マウントとってくる古参の役員がいるのもデフォルトで、結構なメンタル攻撃にも耐えてゆかねばなりません。組織を抜ければ同時に役を離れられるので、「それなら辞める」のも心を守るためには一つの選択肢には違いないです。
PTAという組織があります。わたしが当事者だった当時はPTA活動は親、特に母親にとっては絶対的なもので、加入は強制でした。そんな中、この組織そのものは否定しないがやりたい人だけでやってほしいとはっきりと言葉にした女性がいて、脱退されました。任期途中で。
残されたメンバーは少し傷ついてやや怒りを感じましたが、心のどこかでは彼女の潔さへの羨望もあり、わたしも彼女がとても好きだったので仲間と呼べなくなることが残念でした。
組織活動は、違う考えの人が複数集まって、一つの目的をもって共に行動するわけで、その情熱にも格差があり、当然対立も起こる。それが面倒なのは否めませんが、自分個人の考えを再検討するチャンスも沢山与えられるというメリットがありました。組織の中の自分は自己流が通用しないので、慣れ親しんだ「悪癖」を客観的に見ることが出来るのです。
倫理法人会も組織活動が相当に重視されます。わたしが乗り越えたい「悪癖」は、個人主義に偏りがちなところですので、倫理で役職を務めるのは大変な荒療治です。それでもこれをチャンスだと考えたのは理由があります。
仕事柄、未熟な人格を向上させる必要があり、わたしのここ30年くらいの人生のテーマは「求道者」でした。おおきな希望を持って生まれてきたわたしたちは、人生を怠惰に自分勝手に生きてしまうと、この世を去るときには魂のレベルが下がってしまってる可能性大です(^^; ちょっと負荷をかけて、ラストスパートで磨きをかけたい。
万象我師
人は鏡、万象はわが師
関係を大切にしたい大好きな人たちと、目標を目指して行動し、ともに成長するような組織活動だったら幸せですね。
倫理法人会だけでなく、助産師会、TA協会、HBI、親業訓練協会、わたしが所属する組織は全員が文字通り「師」なので、求道中の身としては、喜んでどんな役でも引き受けたくなる。。でも使える身体は一個しかないのでもどかしいです!