本日919回モーニングセミナーの講話者は、京都洛南の小田原新会長でした。
こなれた感じで流暢なトーク、随分話し慣れていらっしゃるんだなと思いながら引き込まれる事業運営の苦難、そして更なる興隆の物語。
失った関係が回復するところで声を詰まらせておられたこと、経営者の苦しみと喜びの深さを受け取りました。
わたしはずーっと長い間、エッセンシャルワーカーとしては1人の労働者です。この職務は身体が動く限り継続したいと願っています。
最初の職場が国立大学の附属病院で、当時は親方日の丸で物品は溢れるほどあり、また労組が強い病院だったので労働者としての権利を勝ち取る!みたいな空気の中での社会人スタートでした。
別に辛くなくても生理休暇を二日間取る必要があったり(なぜ勤務希望にその二日を予測して記入できるのか謎)、わたしには不思議に思える仕組みがありました…
助産課程に進んだ後の仕事場は、ずっと民間の病院やクリニックで、こちらでは「経営者意識を持て!」とさんざん言われるようになりました。
ガーゼ一枚・注射針一本の価格、備品の扱いが手荒いと修繕が必要になることへの気遣い、電気代、水道代、ベッドコントロール。
でも、経営者意識として最も大切なことは、ひとつの融合した人格のように、その勤務先の〇〇病院を「うちの病院」と表現できることかなと思っています。
うろ覚えですが、東北の震災で放射能汚染に人々が恐れおののいていた時期、現地の病院に勤務していた医師は全員逃げてしまったけどナースは残って看護を続けたという記事を読んだ記憶があります。
これこそ経営者意識、職務を愛し尊重する、与える側の思考だと思います。
1人として同じ考えの人などいない中、従業員を雇い教育しても、後ろ足で砂をかけるように退職される経験を経営者は皆味わっています。
それでも疑わずに共同体として、同じ使命をもって人々に貢献してくれることを信じて、多くの経営者は苦難に耐え、事業を維持するための収益を上げるために身を尽くしておられる。
そんなことを気付かされて、明るい笑顔で優しく気さくに話してくださる小田原会長は、本当に素晴らしい経営者だと胸を打たれました。
苦難福門。
経営者自身もまた労働者であり、労働者は経営者と同じ気持ちで仕事を行う。
苦難は、自分自身の心のゆがみを教えてくれる、大切に向き合うべき人生の課題だと教えられています。
でも(^^; へたれのわたしは主の祈りにある言葉「我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。」をいっつも祈ってます!自然発生の苦難でわたしには十分すぎる、まだまだレベルの低い魂なので…皆さんのような経営者になるのは後数十回生まれ変わって修行しないとね(^^; 倫理でけっこうなブーストかかってるとは思いますが、スペックは越えられません。