今朝は3:50起き成功で、朝礼→MSの途中で後ろ髪引かれる思いで早退。バイクに乗り換えて遅刻せずに仕事場につきました。
「人は鏡」という言葉は昔からよく聞く、一般的な言葉です。「暁のヨナ」で、不老不死のゼノ君も引き合いに出してました!もちろん、字面がよく似ている“人の振り見て我が振り直せ”とは全く違っています。
倫理の「人は鏡」の意図は、誰かを責める思いに捕らわれたとき、その非に対してまず自分を改める、というものです。その人を変えようとするのではなく自分が変わるのが先。
自分もまた別の人や物に対して、同様の間違いを犯していることを反省し、行動を改めることで、周囲と自分との関係に変化が起こります。
それでも、世の中には理不尽なことが多々あります。関係性も対等ではなく、様々な理由でどこにでもヒエラルキーを作ってくる人が多々あります。
わたしはさほど自己肯定感が高い人間ではありませんが、それでも他者を尊重することが関係をつなぐ基盤になることは知っていて、自分を下げることなくそれが出来るようになるのが、対人コミュニケーションにとって重要だと考えています。
対等であること、勝ち負けのないどちらも尊重される答えを見つける努力を共に行うこと、これはわたしが目指す問題解決の方法ですが、実は、倫理の「人は鏡」は、そのようなスキルとは一線を画した見えない世界を扱うものです。
自分が非常に落ち込みネガティブな思いに呑まれていると、身の回りのものが壊れたり枯れたりすることがあります。人を憎めば、その人からも憎み返される。私たちの思考、感情は行動以上に相手に影響を与えるという事実があります。
人は鏡、はユングの提唱した集団的無意識に似ているのかも知れません。
明朗で温かい心を持っている人は、きっと野菜を育てるのも上手でしょう。その人のペットは、穏やかな優しい性格に育つはずです。
新生児ちゃんの泣きや眠りに、お世話をするママの気持ちがくっきりと反映していることも、同じ仕組みだと思います。
自然の働きさえ、心のありように影響されるといいます。大いなるものは純情(すなお)な心を喜ばれるのですね。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節)
これも「人は鏡」の在り方を奨励するものと感じました。それが難しいがゆえに、実践なのだと。
万象我師。
取り巻く大自然が自分の鏡であること、心に刻んでまた前を向きたいと思います。