今日は親業一般の最終日で、価値観の対立を解く方法について話し合いました。
この対立は、扱いに注意が必要です。ここで力を振るって相手を思い通りにすると、相手との関係は取り返しのつかないほどに傷つく恐れがあるからです。
基本的な価値観が、幼いころ養育者からトレースしたものなのは、わたしたちは尊敬する人、大好きな人を見倣いたくなるから。すなおな子ども時代の柔らかい心にすとんと入って来る準拠枠でもあります。
大人になったわたしたちは、初対面の人とのNGネタが「政治」「宗教」であることを知っています。でも、好きな動物、野球チーム、食べ物、どんなものでも価値観の対立の原因になりますので、うかつに「〇〇が好き(嫌い)」というのはリスクがあるということです。
さて、わたしが生まれたとき、その家には年老いたねこが飼われていました。名前はたま。白に黒いぶちのある、可愛いねこでした。幼稚園の頃に亡くなりましたが、25年くらい生きていたと叔母が言ってたのを覚えています。
その後は小鳥ブームで、カナリア、文鳥、紅雀、十姉妹、セキセイインコ、オカメインコ、結構繁殖にも成功して家中が鳥だらけになって楽しかったです。
ねこは綺麗好きで掃除魔の母の許可が得られず、実家では二度と飼えませんでしたので、息子が年長の年に、ようやく迎えることが出来たのが最愛のるびいでした。
翌年Celloが来て、二匹との暮らしで安定していましたが、るびいが腎臓の病気であっけなく8歳で逝ってしまいました。大きなロスをCelloだけでは埋められず、ひまわりとMellowが賑やかしのように来てくれて、しかも保護猫のボランティアも始めて、ねこだらけの暮らしに…すべてるびいを失った寂しさを埋めるため。
ひまわりは心臓の病気があり、5歳で亡くなり、それからは深く反省して保護猫活動からは離れ、CelloとMellowを大切にしようと決心。でも、CelloはMellowが大嫌いで隙を見ては襲い掛かるので、別々の部屋に入れなければならなくて(^^;
今日はCelloのお骨をお墓に納めてきましたので、正真正銘、うちのねこはMellowだけになりました。
たま、沢山の小鳥たち、るびい、ひまわり、Cello。動物たちの死後について考えます。人間に沢山愛されて、言葉もわかっている子たち。弔われて肉体を去った後に、魂が行く場所がないはずがないです。
色んな人が色んなことを言うのですが、誰かの信条に従う必要もなく、わたしは彼らが行く場所を「もふもふの国」と呼んでいます。
その場所で十分に遊んだり寝たり、しっかり休んで心が回復したら、魂はまた同じ動物の赤ちゃんの中に入って、この世界に戻ってくるのだと思っています。
人間は罪深いので(^^; そう簡単にはいかないだろうし、煉獄とか地獄とかも確かにありそうです。
でも多分、人間としてこの世界に生きている短い時間こそが、最大限、魂が成長する機会であることは納得できます。天国で安穏と暮らすことが目標ではなく、おそらく高次の霊は、人であった時以上に大きな仕事をされているはず。
わたしにこんな話をしてくれた人が幼い頃にいて、大切なものを選ぶ基準になっていったことに、感謝しています。
30年のキリスト教徒としての学び、仏教、神道の学び、純粋倫理の実践による自己革新、すべて同じ価値観に基づいています。
今の自分を受け入れた上で、もっと学びたいし、もっと成長したい、もっと実践したいし、もっと誰かのお役に立ちたい。絶えずそんな欲求があります。
もしかすると、ペットの動物たちも、同じ気持ちで短い生涯を走り抜いてゆくのかも知れない。その姿を見て、笑ったり泣いたりすることで、わたしは自分の人生の雛形を感じ取るのかも知れません。
人生神劇!
人の数だけドラマがあります^^この人生で与えられた役割を演じ切りましょう!