本日927回モーニングセミナー、由地副専任幹事のご講話でした^^自己革新に至る刺激について、TOP1はMS準備だと言い切られたことに感動。
6:00からのMSの準備のため、4:45には会場に着いて黙々とお仕事をされている姿がとてもストイックで美しいと常々思っていましたが、自覚されていたとは^^
王子のようなルックスで、下座の行を誰より率先して担当される由地さん。ずっと新入会員の模範に徹しておられる素晴らしい先輩です。
夜は、安澤京都府会長の栞を学ぶ会、ハイブリッドだったのでオンライン参加に甘んじてしまった(^^; だってこの三日間まともに寝てなくて!夜の車道こわい。。
すごく丁寧で分かりやすい解説でした。上手な講師は、小学校4年生にでもわかるように話すというのを聞いたことがあるのですが、まさに安澤会長のお話はそれくらいこなれていました。全編の解説を聞いてみたい…
花野井SVのようなオンライン勉強会を定期的にやってほしいとアンケートに書いてみました^^
人間の数だけある「正しさ」どうしが対決するとき、その怒りはお互いにとって義憤となります。そして、お互い相手を責める心が生じ、苦しみを停滞させ受容を困難にします。
憤りを感じる時、相手に対して責める思いにとらわれたとき、自分が正しいと思い込んでいるものを点検してみます。価値観とか大層なことを言っても、自分で深く体験したわけでもなく、誰かの言葉を真に受けただけだったりするものです。
小さな自分の浅はかな考えであっても、自分の人生全てに悪影響を及ぼす毒になることもあります。SNSの誹謗中傷のように。
わたしは対決場面を避けたい、それを引っ込み型だとか自己犠牲的だとか言われる人もいますが、相手を許して受け入れれば、自分の心と魂が穢れない。だから、そっちを選びたいだけです。
懸命にやってる仕事を否定されたり、誤解されたりすると悔しくて仕方ないのは当然ですが、その感情は相手に向けずに自己革新のエネルギーに変換させたいです。否定する人、誤解する人たちの見ているものをわたしも見えるようになりたいですし、そうなれば問題は霧消するでしょう。
授業妨害する人やルール違反する人に対して怒りを感じていた中学生の頃、自分は正しいと対決をあらわにして苛めに合いました。俯瞰してみると、わたしの傲慢さがよくわかります。個人を見ず、枠にはめて評価していました。一生許せないと思った人たちのことも、先に彼らの考えを受け入れることが出来ていれば、こんなにも傷つかずに済んだのにと許せるようになりました。
どうしても許せないことが無くなっていくと、生きるのが楽になっていくことを実感しています。そしてその楽になった自分が、ようやく誰かのお役に立てるのかなと。でも、わたしはといえば、すぐに凹むし責めたくなるし、幼稚な人格部分を解消できないまま今生を終えてしまう可能性が近づいてきています(^^;
MS会場や教会の礼拝の場とかじゃなくて、日常生活のなかでしかその実践はできないから、焦ってる場合じゃないです。
人が作った組織に忠誠を誓うのではなく、わたしは自分のやりたいことや目標に合致する部分に力を注ぎたい。それは自分の人格形成を向上させることであり、今の京都市南にはそこに通じる道があると思っています。
苦難はいつも人間関係と連携しています。わたしもリスペクトする先輩方のように、しなやかな強さを持ちたいです。
捨我得全。
私情雑念をさっぱりと捨て、明朗な心に達したとき、必ず危難から逃れることができる。これはプラセボではなく、潜在意識が引き起こす奇跡!
あと6日間で、経営者の集いに30名集める(今8名)という苦難(^^; 明朗な心で奇跡を起こしたいです。